馬のころろ 「馬の脳・人の脳」 受け売り乗馬教室先頭ページに戻る
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 脳科学は近年非常な発達を遂げてきた。脳のどういう部位がどんな働きをしているか、科学技術の発達によって調べることができるようになった。こうした近代科学を馬の脳に適用することで、従来は判らなかったことが科学的に解明されている。

 Janet L. Jones著の"Horse Brain,Human Bran"(翻訳本タイトル「馬のこころ」)は、脳科学が解明した馬の脳の機能と、馬と人間の脳の違い、その違いによって起こる諸現象を非常に面白く解説している。

 これを読むと「よく訓練された超高級馬は、敏感過ぎて我々素人ライダーが乗って楽しむべきものでは無い」ような気もする。しかし、脳の構造・機能の違いからくる馬と人との違いを知っておくことは大切で、この本は読んでおくべき本のように思える。

 以下は、この「馬のこころ」からの受け売り。

[1] 馬には感情や論理的思考を司る前頭葉が無い: 馬は悪巧みをできない
[2] 馬の視覚: 視界は人間よりも遙かに広いが、視力は人間よりも低い
[3] 馬の聴覚: 音に敏感と言われるが、人間よりも小さい音が聴こえる訳では無い
[4] 馬の嗅覚: 馬の臭覚細胞は犬よりも多く、臭いから多くのことを知ることが出来る
[5] 馬の味覚: 馬の味覚はそれほど敏感ではない
[6] 知覚の統合: 怪我や病気で欠損した知覚は他の知覚で補える
[7] 神経系の疲労: 同じ刺激に疲れて、すぐに信号を送らなくなる
[8] カテゴリカル知覚: おおざっぱに括って記憶することができない
[9] 固有受容覚: 視覚に頼らず体勢を認識する力
[10] 馬の学習能力: 馬はあらゆるものから学習し、覚えたことは忘れない
[11]報酬による調教: 食べ物では無く、馬に安心・安全を褒美として与えよう
[12] 馬の注意を引き留める: 馬が乗り手に注意を向けてないと扶助は通じない

馬には前頭葉が無い
 馬の脳にある神経細胞の数は10億個強あるが、これは人間の860億個よりも遙かに少ない。しかも、人間の感情や思考を司っている前頭葉が、馬には無い

 だから外界の刺激(脇の草むらで何かがガサガサするなど)は、前頭葉で判断することをせず(したくても、無いからできない)直接運動野に送られて、脱兎のごとく逃げ出す行動を喚起する。ガサガサしたものがウサギだったと後で判っても、取り合えす逃げておいて何の損も無い。そうした行動を積み重ねて生き残ってきたのが馬なのだから。

 だからもちろん計画を立てて実行するなどということはできない。いろいろなことを総合的に考えるということもできない。人はこの事実を忘れて(あるいは知らずに)、「馬が悪巧みをした」「馬が乗り手に危害をあたえようとして悪さをした」とか考えがちだが、そんなことはあり得ない。

 ただし、これは馬に感情が無いことは意味しない。ずっと、馬に感情は無いと言われてきたが、最近の研究では「有る」というのが有力だ。前頭葉が無いから脳の他の部分で感情の機能が代替されているらしいが、どの部位なのかは特定されていないという。

 また、馬は表情を見分けることができるという。他の馬の表情を見てその感情を読み取れるという。人間の表情も読み取れるという。怒った顔つきの人の写真は避けようとし、見てしまった場合は心拍数が上がる。リラックスしたにこやかな顔つきの人の写真は避けないし、心拍数も上がらない。
馬の視覚
 「馬は乗っている人と同じものを同じように見ている」と信じ込んで馬に乗っている人が多いが、実は全然違う。

・視界と視力
 馬の視野は、340°、真後ろ以外は全方向が見える。ただし、視力は弱く人間よりもずっとぼやけてしか見えない。だから飛越する障害もぼんやりとしか見えていない。しかも焦点調節機能が弱く、焦点を合わせるのにも時間が掛かる。だから体のそばで何かが急に動くと馬は驚く。

 真後ろ以外全部見えるといっても、真っ正面はよく見えない。目よりも下はよく見えないし、鼻の下はまったく見えない。

 馬が何かにおびえたときに、おびえた対象の方に馬の顔を向けて、馬に怖がるものでは無いよと教えようとすることは間違いだという。対象物と馬体が直角(馬の目玉の真っ正面、つまり鼻面の向きと直角の方向に対象物を置く)になるようにして、馬に対象物の方向がしっかり見えるようにする。なおかつ、じっとさせておくことは馬に不安を与えるので、絶えず馬を動かさなければいけない。馬に8の字を書くような運動をさせる。その8の字の上下の真ん中を左右に貫く線が対象物の方向を向くような運動をすべきだという。で、怖がらなくなったらこの運動を対象物に近づけて行う。怖がるようなら離して行うという。

 また、盲点(網膜に投射される対象物を、視神経の配置の関係で知覚できない領域)は人間にも存在するが、馬の盲点は数が多くしかも面積が広いという。馬がある距離を取るとすっかり見えなくなる盲点があちこちにあって、その大きさは犬や小さい子供が見えなくなるほどに大きいという。

・色覚
 色覚も人と違う。馬は赤と緑の区別がつかない。だから緑の牧草地を眺めている馬には、じっと動かない真っ赤な服の人は見えない。

 こちらには、馬と馬に乗っている人の視界をシミュレーションした動画がある。馬にはこんな風に見えているのかととても面白い。
馬の聴覚
 馬は鋭い耳(聴力)を持っているということは乗馬を始めたときに教えられるだろう。

・音量
 人間の耳に聞こえるもっとも小さな音は0デシベル、もっとも敏感な馬でもこの大きさの音は聞こえない。馬に聞こえるもっとも小さな音は7デシベルで、人間の穏やかな呼吸音に相当するという。だから馬は乗っている人の呼吸音を聞くことができるという。乗っている人がゆっくり落ちついた呼吸をすることは、馬を落ち着かせる効果がある。

・周波数
 馬に聞こえる周波数領域はほぼ人間と同じだが、低音は人間の方が良く聞こえ、馬は人間に聞こえない高音が聞こえる。
 低音については、蹄を通して馬に伝わるという。

・方向の定位
 音がどの方向から来たかを認識する能力は人間より低い。人間は音の来た方向を1°以下の精度で特定できるが、馬は22~30°だという。鋭い聴力が無いと生き残れないはずなのに、人間より低いのは謎だそうだ。

・音の解釈
 馬は(人間も)音に優先順位を付けることができる。普段使われている音には慣れて、普通で無い音は警告信号としてとらえることができる。人間の声の調子から人間の感情を読み取ることもできる。声に応じてどのような振る舞いをすればよいか教えてある馬を、声によって制御することができる。
馬の嗅覚
 馬は、犬よりも臭細胞を沢山持っているという。馬場に落ちている他の馬のボロ(糞)のにおいを嗅いで、どの馬の仲間のものか、その馬の自分に対する敵意の程度、その馬がイライラしていたのか怯えていたのか、などまで判るという。

 また、多くの馬は自分と接する人の臭いを嗅ぐことで自信を持つようになるという。

 馬の嗅覚なんてこれまで重視されていなかったから、こうした嗅覚の鋭さを乗馬に活かすことは行われていないし、どうやって活かすかも判っていない。人の臭いも嗅ぎ分けてくれるそうだから、せいぜい馬と接するときに自分の臭いを嗅がせておいて、自分はあんたの味方だよとすり込んでおくぐらいかしら?
馬の味覚
 馬の舌は、塩味または甘味を味わうと脳に快感を送るという。
 非常に空腹な時や食べたい物の量が非常に少ないときは、有毒物質や汚れた水を味覚だけで避けるのは得意でないという。だから、人間が有毒物を取り除いてやる責任がある。
知覚の統合
 馬はある感覚器の障害を別の感覚器で埋め合わせることができる。
 耳が聞こえない馬は目で見る物に、目が見えない馬は音に、より注意を向けるようになる。これは人間でも同じ。だから片目が見えない、耳が聞こえない名馬というのも居るそうだ。

 目隠しや目をつぶって馬に乗ってみることは、たとえば視力にだけ頼って乗っていたのを、尻や脚に掛かる圧力などを感じ取る訓練として非常に役立つという。
神経系の疲労
 知覚細胞はとても鋭敏だが、同じ刺激を長く送り続けられないという欠点がある。同じことをやっているとすぐに疲れてしまい、脳に信号を送ることをやめてしまう。たとえば人間の目の視神経は同じ信号をほんの数秒しか連続して送れない。だから人間は眼球を無意識に動かして視神経が同じ信号を送り続ける状況にならないようにしている。

 脳も同じ刺激にはすぐに慣れてしまう。変化にはすぐ反応する。馬の口や脇腹の受容細胞はあっという間に疲労する。「圧迫されている信号」を馬の脳に連続的に送り続けることはできない。だから、扶助は断続的に与えなければいけない。

 扶助とは延々と強制することではなく「して欲しいことを馬に伝えること」、「解放」とはやめるという意味ではない。扶助を解放して「ニュートラル」に戻すという意味だ。決して「ゼロの状態」にすることではない。「ゼロの状態」にするとは馬を降りてどこかへ行ってしまうことだという。だから、通常は馬が必要とする量に合わせたニュートラルな力を脚に込めて、その状態を維持する。その力を一瞬強めることが『扶助』であり、その強めた力をニュートラルにすることがか『解放』なのだという。

 また、ひっきりなしに舌鼓を使うことも間違いだという。馬が舌鼓に慣れて無視するようになるからだという。おまけに周りに居る馬にも聞こえてしまうから、他の馬にも悪影響があるという。
カテゴリカル知覚
 人間は「カテゴリカル知覚」という能力を持っている。これは、例えば消防のホースが巻いて置いてあるのを見て、「消防のホースだ」と認識し、このホースの巻き取り方や置かれ方が多少違っても、同じ「消防のホースだ」と認識する力。だから初めて消防のホースを見て驚いても、2度目にホースが別の形で置かれていてるのを見て驚いたりしない。

 けれども、馬にはこの能力が無い。だから、消防ホースのそばを何度も通って慣れているはずなのに、ホースの巻き方や置き方がちょっと違えば、これまでに見慣れたものとはまったく別物だと認識する。乗っている人から見ると見慣れたもののはずなのに、やたらビビったりするのは、部分が違えば馬には全く新しい初めて見るものとして認識されるからだ。

 そのため、些細な違いに馬は敏感だ。人の感覚からすると大きな違いにこそを注意を払うべきと思うが、草むらを忍び寄る捕食者が起こすかすかな草の動きに反応できないと生き残れない。このかすかに動いている草むらを「(そこらの同じ)草むら」とひとくくりにして認識していては食われてしまう。あくまでも個々の細かい点の違いを際立てていないと危険を回避できないから「カテゴリカル知覚」は邪魔なものらしい。人から見ればどうでも良いような些細なことで馬は驚愕することに注意して乗っていなくては危ない

 また、これは馬がちょっとしたことに怯えるという問題の他に、初心者が出す扶助が理解されないという問題を引き起こす。乗っている人が「右駈足の脚扶助」を送っても、初心者は正確に同じ扶助を出せないから毎回脚扶助に微妙な違いが出る。これを受け取っている馬は「(微妙な違いのある扶助は)異なる扶助」だと認識するので、「右駈足の指示だ」と認識できたり、そうではないと認識したりする。
 もちろん、馬には学習能力があるので、そんな微妙に異なる脚扶助で駈足をやらされていると、それぞれ異なる扶助だと認識しつつ、そのどれをも「右駈足の指示」だと学習することはできる(この部分は私の推測)。
 馬に乗って扶助を送る場合、「これどう考えても左へ曲がれという扶助だろ、なんで判んないんだよ」などと乱暴なことを思ってはいけない。微妙な加減の違いで、そういう扶助だとは認識されていない可能性も考えておくべきだ。馬は細かい違いに敏感なのだ
 だから、ある扶助が通じなかった場合、別のやり方をしなければいけないと考えてはいけない。それは問題を悪化させるだけ。同じ扶助をやり直せという。最も判りやすく最も一貫して出される指示が最も効果があるという。
固有受容覚
 固有受容覚とは聞き慣れない言葉だ。これは、体を認識する感覚で、自分の体が空間のどこにあるかを教えてくれるもの。人間は視覚に頼るところが大きいので、目で見てどうなっているかを認識することが多い。けれども、固有受容覚のおかげで、目をつむって視覚を遮断しても、自分がまっすぐ立っているか、伸ばした腕は水平に伸びているか、あるいは、首がちょっと左に傾いているか、などということが判る。病気や怪我で固有受容覚がひどく損傷すると、自分の手足がどうなっているか判らないので、立つこともできなくなる。

 騎乗中には自分や馬の体をじっと見てはいられないから、固有受容覚を研ぎ澄ませて視覚に頼らずに、自分の体がどういう体勢になっているのか、馬がどういう動きをしているのかを知ることができるようになることは、非常に大切だという。固有受容覚というのは、乗馬において、馬にとっても乗る人にとっても、もっとも重要な役割を果たす感覚らしい。

 固有受容覚が優れた馬だと、その固有受容覚で、人間が乗った瞬間に自分自身の脚の位置のみならず、乗り手の脚の位置やそれが何をしているのかを常に察知できるという。固有受容覚を研ぎ澄ませば「人馬一体」が実現できるという書きっぷりだ。

 固有受容覚を訓練する練習あるいは、その働きを確認するには以下をやってみるとよい。
・目をつむって、片足で立つ。40~50秒立っていられれば優れているに分類されるという
・目を閉じて両手をまっすぐ前に出して、前に出した両手を近づけて人差し指同士が触れることができるか
・二つの体重計に左右それぞれの足を乗せて、左右の足に同じ加重を掛けるようにして、立つ。両方の体重計の読みは同じだった?
・両手に適当なおもりをもって、片足でスクワットをする。左右の足で違いがあったか?ぐらつかなかったか?
・バランスクッションの上で立つ
などなど沢山。

 また、日常運動では動かさないような筋肉を、それ単独で動かせるように訓練せよとも言っている。
 固有受容覚については、書籍の中で豊富な説明がある、それを要約し判りやすく解説する力が私には無いので、知りたい方は書籍を購入して読むことをお勧めします。
馬の学習能力
 馬は「学習マシン」だという。人間はボーとして何も学習していないことがあるが、馬はそうではない。いかなる時にも学習しており、身についた知識は馬の脳から絶対に離れない。しかも、乗り手の扶助についていえばほどんど感知できないほどかすかな扶助の意味を1万以上覚えているという!! 調教師だけでなく、我々サンデーライダーも乗ってる間中(馬の近くに居るときも)馬に教えている。教えるつもりなど無くても教えている(馬が勝手に学習してしまう)。

 馬の学習方法には以下のようなものがある。人間もおなじように学習をするが、人間の場合は、認識力、判断力、疑念、虚勢、傲慢さ、羞恥心などが学習の邪魔をする。馬にはそんなものは無いから飲み込みが早いのだという。

関連づけ:二つの物事を、場所や時間で結びつけることによる学習。
 干し草運搬車が干し草を引っ張っているのを見て、干し草運搬車と干し草を関連付けて覚える。
 「いい子ね」と言って馬を褒めて、直後に首をなでてやると、馬は「いい子ね」という言葉と「なでてもらって気持ちよかった」ことを結びつける。

得られた結果からの学習: 結果と直前のことを結びつけて覚える。
 たまたま前掻きをしていたときに、直後に干し草を与えられると、前掻きと報酬を結びつけて覚えてしまう。
 「いい子だ」という声かけと「立ち止まって一休み」を結びつけて覚えた馬は、「いい子だ」と言われるとたちまち急ブレーキを掛けるようになる。

観察による学習: 馬は観察したことから学習することに非常に長けている
 自分より年齢か地位が上の馬を観察して真似るのが得意。
   他の馬が人を乗せているのを見て、自分も安心して人を乗せる。
   他の馬が嫌がらずにトレーラーに乗るのを見て、自分も嫌がらずに乗るようになる。
   仲間が門扉や馬房の扉を開けているのを見て、馬房や門扉の開け方を学習できる。
 人間を観察して学習もできる。人間が水道の栓をひねって水を出しているのを見て、水を飲みたいときに水道の栓を前足でたたいて(たまたま栓がが回れば)水を出して飲むことができるという。

 この観察による学習の仕組みは、脳科学者が「ミラーニューロン」を発見するまで解明されなかった。人間にも、「ミラーニューロン」は存在して、驚くべき事に、Aさんがコーヒーカップを持ち上げるのを見ているBさんの脳の「ミラーニューロン」にもコーヒーカップを持ち上げるように発火するのだという。「ミラーニューロン」は自分と他人を区別しないらしい。

 他の馬がトレーラーにおとなしく乗り込むのを見ている馬の「ミラーニューロン」によって、トレーラーに乗り込むのは怖くないという脳神経細胞の接続が強くなるという。

感情による学習: 恐怖は記憶を強固なものにするが調教につかってはいけない。
 学習で最適な効果を上げるためには、馬の中で穏やかさ、好奇心、信頼といった感情を育てると良いという。人間に安心感やリーダーシップを求めてもよいのだと伝えて馬を勇気づけるのが良いという。

試して学習: いろいろ試してやっていけないこと、良いことを学習する。
 馬場の脇に生えている草を食べて道草。これは道草してもしかられないかどうか乗り手を試しているのだという。初心者は自分が試されていることに気がつかないから、馬はますます調子にのって言うことをきかない馬になる。
 こうした「試す行為」は悪い振る舞いだと思われがちだが、脳科学の観点からは、試すことは最も効果の高い学習方法だから、これを「乗り手が望んでいることを見つけようとする馬なりの方法」だと考えるべきだという。「こんにゃろめ、俺を試すなんて、ふざけんな」ではなく、「俺がどうして欲しいかを知りたいんだね」ということのようだ。
 
報酬による調教
 報酬は、馬が得られた結果で学習する方法の中で最も効果的だという。けれども、それは食べ物をあげることではない。実際に最もうまくいくのは食べ物を使わないやり方だという。

 馬の習性に逆らった、あるいは以前は非常に嫌がっていた動きができたのなら、食べ物を報酬として与えても良いそうだが、その他の場合は食べ物を報酬に使ってはいけない
 なぜなら、馬は常にもっと欲しがる。最初は、口で触ってねだってくるのが、次第に人間との距離感を尊重しなくなり、舌でつんつんしていたのが皮膚を噛みちぎらんばかりになる。馬はそうすることによって人を負傷させてしまう恐れがあることを理解していない。そんなことより、おやつが出てくる機械をただ動かしたいだけだという。う~ん、なるほど。

 では食べ物以外の報酬とはどんなものか? 馬が好むものならどんなものでも良いから、
・休息
・よく知っている場所
・静かな環境
・馬仲間
・見慣れた人々
・穏やかな声
・柔らかい手
・うなじ き甲をかいてくれる
・遅い歩法への変換
・緩めた手綱
などなどが報酬になる。

 報酬は馬が求められた振る舞いに成功したら2-3秒以内に与えなければいけないという。だから上のようなリストで、すぐに与えることができる報酬といったら、穏やかな声、柔らかい手、うなじ き甲をかく、遅い歩法への変換、緩めた手綱などを主に使うことになる。

「負の強化」
 負の強化は、馬が「人間が望む反応を示すまで、痛みを伴わない程度に馬の体を圧迫する方法」を言う。込める力の強さは「ほとんど感じられない」から「ほどほど」まで様々、通常は「促す」程度のものだという。馬が反応をしたらすぐやめることが肝心で、「負の強化」は決して「罰」では無い。

 典型的な負の強化として知られているのは、脚によって馬腹を圧迫する扶助。腹を圧迫されることは、馬にとっては不快だから、いろいろ動いて不快感から逃れようとする。馬が、前進以外のことをしたら圧迫を緩めず、前進したらすぐに(「直ちに」ということがとても大切)圧迫を緩める。馬は「圧迫されたら、前に進む。そうしたら楽になる」と学習して、脚扶助で前進することを覚える。

馬の注意を引き留める
 扶助に対してどう反応しなければいけないか充分な知識のある馬が、脚や拳、騎座による扶助をただ無視するのは、馬が乗り手に注意を向けていないからだという。馬が乗り手を軽く見ているのだ。

 馬に快適に乗るためには、「馬は乗り手に、乗り手は馬に」注意を払っていなければならない。馬が乗り手に注意を払っていないと、気を散らされる毎に素早く逃げるという本能の方に従ってしまう。乗り手が馬に注意を払っていないと、馬も乗り手に注意を払わない。

 馬はやさしい人とそうでない人を見分けられる。人が馬に注意を払っているかどうか察することもできる

 また、馬の注意を持続させるためには、馬に次の動作を予測させないこと。騎乗中に思いがけない動作へ変換することは大きな効果がある。予想外の停止、発進、方向転換、速度・歩法の変更などやるとよい。

 などなどとても面白いことが沢山書いてある。その内容の多くは、馬を調教する立場の人を念頭に書かれており、調教などせず、乗って楽しむだけのサンデーライダーには「そこまでやらにゃいかんのですか?」ということも多いが、まあとにかく面白い。

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